スタッフ挨拶

ステンドグラスと聞くと皆様はどのような印象もお持ちでしょうか? 

洋風なランプ?教会の?ヨーロッパ?アメリカ?様々なお声を沢山頂きます。
まだまだ敷居が高いと思われがちなので特別な人たちだけの贅沢品というイメージを変えることを目標に、1998年から当時では珍しいステンドグラスの体験教室のお店(現在の戸倉店)を開店し営業を続けています。

ステンドグラスと建築

建築士の資格を持っているのになぜ?と言われる事が多いですが、ステンドグラスを入れることによって住まいはさらに引き立ち、その素晴らしさに魅了されているからです。デザインやガラスの種類はもちろんですが、朝日や夕日の時間帯に加えて、季節や天候、太陽高度などの環境要因によっても見え方が大きく変わります。建築士さんがお家の設計の際に現地調査をするように、私達も建物のどこにどのようなデザインで入るかを想像して計算し、デザインしてご提案、制作、施工し続け、創業から1000軒を超えるオーダーメイドの作品が存在しています。

ステンドグラスは好き嫌いがはっきり別れる商品です。しかしマイホームにステンドグラスを入れる事が夢とおっしゃるほど思い入れの強い方も多く、一生に一度の夢の実現に関われることのできる誇らしい仕事だと思っています。また、絵画もキャンパス上で見るのと額に入れた時ではガラリと変わるようにステンドグラスも建築物に収めた時によりよく見えるように、作品だけ注目が集まらないよう建物や空間全体で素晴らしい作品となるように、あとから後悔しないようその時の最大限の力を注ぐことを信条にしています。

ステンドグラス、建築への想い

父は私が生まれた年に独立し、今でも現役でステンドグラスを作り続けています。現在は、父と母と私の3人で働いています。私が会社員を辞め、ステンドグラス職人として名刺交換をすると多くの方に質問される言葉があります。
『建築士さんなのに、どうしてステンドグラス?』
家の隣に工房があり小さい頃から遊び道具だったから、両親がガラスを通して沢山の人を笑顔にしている所を間近で見てきたから、やっている人が少ないから、自分の特技、生活の一部だから、家業だから、長男だから、、、
理由は沢山ありますが、最も自信を持って強く言える事があります。それはステンドグラスの素晴らしさに魅了されているからです。

続ける事が財産に

大学卒業後は東京の大手工房で2年間修行した後、大手チェーン店のステンドグラス部創設メンバーとして、日本全国や台湾などへの進出に伴い、各店舗へ大規模制作に明け暮れて来ました。その経験があるからこそ、1989年に独立するもその染み付いた経験が今も財産となっています。

家族を養う覚悟を持ち年中無休を自分に課し、この40年で休んだのはコロナ禍の営業自粛の際のみです。初志貫徹で40年続けて来れたのは、大切なお客様はもちろんのこと、信用取引の成り立つ仕入れ先や取引先、反対し続けていたのに今では応援してくれている公務員の父、ウチは母子家庭と冗談をいう妻の支え、3人の子供たちの笑顔があったからです。 才能溢れる作家さんたちは沢山いらっしゃいますが、何らかの挫折や不満をきっかけにやめてしまう人が多い中、ここまで続けてこられたことに感謝し、これからもステンドグラスを普及させること、関わる方々と作品たちに愛を注ぐことを忘れず、継続という財産を増やしていきたいと思います。

代表  山﨑一彦

代表を務める山﨑一彦は、1981年大学卒業後、東京にあった日本最大級のステンドグラス工房メイフィアにて2年修行の後、地元長野県にあったレストランや居酒屋など幅広く店舗展開していた会社のステンドグラス制作部へ転職。その後、経験を積み1989年10月に個人事業主にて屋号を「アーツプロデュース」として長野県千曲市上山田にて独立開業。

1989年の開業以来、県内外問わず全国の公共施設や学校、病院、教会などの大型制作から、住宅や別荘、店舗など約1,000軒全てオーダーメイドで制作、施工してきた。